日々忙しく過ごしていると、当たり前のことから意識がそれてしまいがちです。
でも、ふとした瞬間に、大切なことは「あたりまえのこと」に眠っていると気づきます。
当たり前にできること、それが当たり前ではなくなった時に、その有難さを感じる。
たとえば、私は6年前、盲腸の手術をして入院しました。
何より厳しかったのは、丸一日何も飲めなかったこと。
食べたくても食べられなかったこと。
我慢の末にようやく出てきたのが、ほぼ液体の「10分がゆ」。
もちろん味はほとんどありません。
けれども、これほど食べ物が有難いと思ったことはありませんでした。
退院のときに見上げた青空。
これほど美しい空があるだろうか、と思ったほどでした。
そんな経験をしてみると、当たり前の毎日が、いかに奇跡かということに気づく。
だからこそ、目の前の「あたりまえ」に心から感謝して味わってみる。
今目の前にいる人を心から大切に思う。
今目の前にある食べ物を心から美味しいと感じて食べる。
目の前にある本を、心から愛おしいと思って読む。
今目の前にいる生徒を、かけがえのない存在だと感じて接する。
すると、確実に「心」の中で何かが変わるのが分かります。
心が変われば、当然行動も変わる。
同じように、私が実践してみていること。
それは、その時だけでいいから、自分なりの「最高」を追求してみること。
最高の笑顔。
最高の挨拶。
最高のメール。
最高の食べ方。
最高の歩き方。
最高の別れ方。
いつもだと疲れる。
けれども、ふとしたときにちょっとだけチャレンジしてみる。
人は、生まれてきた以上、自分自身を最高に生きる責任があるのではと思います。
その一つひとつのチャレンジが、人生というキャンバスの彩りになっていくのでは。
そんなことを思ったりします。
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