「ありがとう。よかったと思うよ。でも聞いていいかい? 君は、この曲をどんなふうに弾きたいのかね?」
「…どんなふうっていわれても」
「いつも言っているが、ここは二人で音楽を創っていく場なんだよ。ピアノで大切なのは、君がどう弾きたいか、つまり『自分』を見失わないことだ」
「自分で考える…」
「ピアノは主体的に考えて、はじめて上達する。そのためにも、一つの音楽について話し合うことが有効だと思っている。これはどんな小さな子でも同じだよ」
「どう弾きたい…か。うーん…」
「…」
「…そういえば、ここがどうもしっくりこなくて…たしかにフォルテが3つ付いてはいるんですが…」
「なるほど。たしかに3つフォルテがあるね。考えなければいけないのは、これがショパンだということだ。彼がフォルテを3つ付けるのはとても珍しい。しかもこれはノクターンだ。この曲調にしてこの表記。考える余地があるのは間違いないだろう。君はどう思う?」
「…普通のfffで考えれば、すごい音量だと思います。でも、ショパンが求めていたのは、音量だったのかというと…違うのかなって」
「いいね、続けて」
「…音量の力強さっていうより、なんていうんだろ…気持ちのほう?かなって」
「素晴らしい。それはどんなところから?」
「えっと…ショパンは…たぶん…どうしようもない、っていうか、こらえ切れない思いみたいな…そんな出したくても出せない、えっと…なんだっけ…」
「ジレンマかい?」
「それ!です! ジレンマみたいなものをここで表したかったんじゃないかって」
「なるほど。となると同じ強弱記号でも、表現がまったく変わってくるね?」
「そうですね、うまく言えないんですけど、外側というより、内側に向かう、エネルギー…?のようなものというか」
「内への叫び」
「ああ…はい。僕もなんか、ときどき叫びたくなるときもあるし…、でもみんな、それを抑えて生きてるっていうか…」
「それは、怒りかな?」
「怒り…とは違うかな…なんだろ、自分はここにいる!みたいな主張に近い感じ…かな。叫びたいけど恥ずかしいからとか、もう大人だし、みたいな…すみません、うまくいえなくて」
「いいんだよ。行き場のない葛藤や、言葉にできない慟哭、伝え切れない思いは、誰の心にもあるだろう。そこまで考えると、この3つのフォルテの在り方が見えてきそうだね」
「はい、さっきの弾き方とは真逆…?」
「もっと言うと、そこに至るまでの音楽の作り方も、まるで変わってきそうだね?」
「そうか!こう…なんか違うなって思いながら弾いてたんですけど、まるっきり的外れなことをしていたのかもしれない…」
「いいかい、今みたいなプロセスが『考える』ってことだ。楽譜にはすでに答えはあるんだよ。でも、その答えを見つけられるのは、『考えること』を止めなかった人だけだ。そして、演奏する喜びを知るのも、ね」
「僕はいままで、ただ単に弾いていたっていうか…じゃ先生、このピアニッシモはどうでしょうか。ソフトペダルを踏もうか踏まないか悩んでいたんですけど」
「大事なのは、ソフトペダルを踏むか否か、だろうか?それよりも、大切なことがありそうだね?」
「えっと…自分はどう弾きたいか…」
「多くのピアニストが、フォルテッシモよりピアニッシモが難しいと思っている。それはね、音を小さく出すのが難しいからじゃない。小さな音で思いを届けるのが難しいからなんだ。でもそれは、愛をささやかれることや、心のこもった小さなプレゼントのほうが嬉しいのと同じで、できたら素敵なことと思うよ」
「そうか…答えはすでに楽譜にある…」
「じゃ、ちょっとその周辺から考えてみようか」
「はい!」
(この連載は、フィクションです)