「やあ、こんにちは。雨の中、よく来てくれたね」
「こ、こんにちは…」
「おや、どうしたんだい?今日の天気みたいにしょんぼりしているようだね」
「…先生、あの…えっ演奏会で、思いっきり、失敗しちゃいました」
「そうか。悔しいんだね」
「僕は…うぅ…ぐ…いつも…うぇ…う、まく、いかなくって…うぅ…なんで…」
「よしよし、ほら、まずは鼻をかもうか」
「うぅ…、ぐすっすび、すんすん…」
「落ち着いてきたかな。じゃ、ピアノを聴かせてもらう前に、今日はちょっと一緒に考えてみようか」
「…」
「失敗についてだ」
「…すん、すん…」
「いいかい、失敗ってね、本当はないんだよ」
「うぅ…?」
「失敗があるとしたら、その出来事を『失敗だ』と思っている自分がいるだけだ」
「…」
「同じ出来事でも、それを失敗と思うか、成功に近づけたと思うかで、結果は大きく変わってくる。つまり、結果は捉え方次第だということだ」
「…」
「大事なことだから、覚えていてほしい。君は挑戦したからこそ、悔しさを味わうことができた。しかも、そこには素晴らしい可能性が秘められている。『成長』という可能性がね」
「…」
「挑戦する者には、可能性というたくさんの道が開ける。だが、挑戦しない者に用意されている道はたった一つ。逃げ道だけだ」
「逃げ道…」
「失敗したくない人は逃げる。逃げていれば失敗はないからね。だが、そこに成長はない。ほら、漢字も同じだよ。『逃げる』と『逃す』は一緒だろう。失敗から逃げると、大きなものを逃すんだ」
「…ぼ、僕は成長っていう可能性をもらった…と」
「その通りだ。だから、強くなれるんだよ。そしてね、少しずつ強くなっていくと、すごいことが起こるんだ」
「…え、すごいこと…?」
「失敗を失敗と思わなくなる。むしろ逆だ。成長できるチャンスが来た!ってね。ほら、もう結果が180°変わっているだろう?」
「…は、はい…でも、すぐには…無理かな」
「そうだね。誰でもそうだよ。大事なのは『失敗の経験値』を前向きに上げていくこと。するとね、さらにいいことがあるんだよ」
「…いいこと」
「魅力的な人間になっていくんだよ。本当の魅力ってね、見た目とかカッコよさじゃない。『失敗という積み重ね』ででき上がるものなんだよ」
「し、失敗の積み重ね…」
「成功している人は、失敗しなかった人ではなく、誰よりも失敗した人なんだよ。要はそこから何を学んだか。まぁ、そういう人はそもそも失敗とは思っていないだろうがね」
「すごい…」
「ピアノも同じだよね。なぜ思うように弾けないのかを、いつも考える。分析のない練習は時間の無駄だ。理由がわからなければいつまでも成功はないのだから。頭を使わなければピアノはうまくならないといつも言っているのは、そういうことだよ」
「はい…」
「いいかい、最後にこれだけは覚えていて欲しい」
「…」
「君を助けてくれるのは、君が絶好調のときに身近にいる人じゃない。君がどん底にいるときに一緒にいてくれる人だ。雨の日に傘をさし出してくれる人。そういう人になって欲しい」
「…雨の日に…」
「階段の『踊り場』って知っているだろう? 人生という長い階段にも、必ず『踊り場』がある。いいかい、大変なとき、辛いときこそ悲嘆に暮れるのではなく、踊るんだよ。楽しむんだ。努力することはとても大切だ。だが、楽しんでいる者には勝てない。『音楽』が、音を楽しむと書くのは、そういう理由だと思うよ」
「…はい、わかり…ました」
「いい目になったね。見てごらん。窓から綺麗な日が差し込んできた。じゃ、今日の君の音色を、聴かせてもらおうかな」
(この連載は、フィクションです)